寂しい と思うこと
関係性によっても違うかもしれないけど、人とやり取りするためのツールはすごく増えた。
対面、電話、メール、ライン 後者二つに関しては文字だけのやり取りになるから表情がわからない。
だから相手がどんな気持ちでその文字にしたのかがいまいち伝わらないことが多かったりする。
それでも手軽さ、気軽さに変えられるものはないからついラインやメールで連絡してしまうんだけども。
そんな文字だけのやり取りの頻度や量に対して不満がある場合 「寂しい」と思ってしまう
別にそれだけが自分と相手の関係性を表してるものではないとはわかっていても、欲張ってしまうというか
その「寂しい」の量は個人によって全然違うってやっとわかってきた
何度も違う人からかわるがわる説明されて、やっとやけども。
大人になってから(というか、自分で自分の身の回りのことをやるようになってから?)、寂しいと思う回数が増えた
誰かに「特別な存在」だと思われていることが自己肯定につながると思ってて、そんな存在がいつもそばにあるのが当たり前だった
自分で自分を肯定することもできない女が、自分を肯定するためにほかのだれかを心の空いたところにあてがっている様は、たぶんほかの人から見たら滑稽だろうなと思う。
でもそうしなきゃ気がおかしくなりそうだった、いや今もうおかしいのかもしれないけど
心の空いたところに誰かをあてがっても、うまく埋まるわけもなくて。
喧嘩やすれ違いが続いて、関係は何回も終わってしまった
こっちも別に本気じゃないし、なんて自分に言い訳しながら、誰かを想うことより自分を想われたい、って思ってた
こんなエゴだらけのくせに「自分は相手を想ってる」って傲慢な考えしてるから、自分が想ってる熱量より相手が少ないと悲しいって思ってるんだろうな
それはただの依存で、愛情じゃないってたぶんうすうす自分でもわかってた。
そもそもなんで誰かに肯定されたいんだろう
自分が誰かに認められようが認められなかろうが自分は自分の生き方しかできないのに。って一部の人は思うのかもしれない
いつからか、私にとって一番大事やったのは「どうしたいか」より「どうあるべきか」になっていった。
べき、の理由は社会的規範や多数派に自分の頭の中が支配されていて、それがスタンダードでそこからはみ出すことがすごく怖いと思っているから。今でも
変わること、逸脱すること、脱落することが怖い。
だから仕事もたぶん仕事がある限りやめない。変わることが怖いから。
ライフスタイルが変わっていくのが怖い。結婚も、同棲も、出産も、みんな怖い
好きな人と一緒にはいたいけど、なんで好きな人は私のことなんか好きなんだろって思う
寂しい。ずっと変わんない。ひとりになりたかったのになあ
寂しいと思う自分が気持ち悪いし、それを誰かに埋めてもらおうとしてるせこい自分も気持ち悪い
自分が思ったり考えたり行動したりすることのすべてが間違ってるように思えるし、そうじゃない人間のことが羨ましくて仕方がない。
自分のこと好きとかはっきり言える人って何食べてどんな生き方してきたらそれ身につくんだろ。
人のこと悪く言える人は自分のこと正しいと思って生きてんだろなあとかそういう考えても仕方のないことばっかり考えて自分で自分を身動きとりづらくし続けてる
25歳のときはこうしないととか、誰に決められたわけでもないのに
どうしたらうまく生きられるのかなあ