おかあさんとおとうさん
明日は母の日
6月には縁がなくなって久しい父の日がある
おとうさんとおかあさんって存在について、ずっと考えてしまってる気がするなあ
「家族」をうまくやることができなかった人も多いと思うけど、うまく「家族」をやる方法を見つけたくて仕方がない
新しい知見を得るためには私が家族を作るべきなんだろうけど、まだそんな気にもなれないから、いろんな人に意見を仰いでからゆっくり自分で考えてみよう
おとうさんについての最後の記憶は小学校に入学してすぐやったと思う
おかあさんとおとうさんが大喧嘩した日
ふたりの大きい声と、いつもの厳しくて静かなおかあさんじゃないことが怖かった
手の震えが止まらなくて、声を殺して泣きながら妹と手を握ってた
「ごめんなさい。いいこにするから」
私たちのせいで喧嘩になったんじゃないのはわかってたけど
おかあさんとおとうさんがどうしたらまた一緒に過ごせるか、小学1年生なりに考えて出た言葉はそれやった
「おとうさんとおかあさん、どっちがいい?」
どうやって喧嘩が終わったのか覚えてないけど、おかあさんが出ていく準備をしてるときに、おとうさんとおかあさんどっちやったかな、聞かれた。
「おとうさんについて行くとあま(尼崎)に行かなあかんなるよ」
小学校でできた友達と離れるのがつらいと思ったから、妹と二人で
「おかあさんといっしょにおる」って言った
おかあさんは私たち二人を連れて近くの旅館に泊まった
そこで、お皿に一杯アメリカンチェリーが出たのを覚えてる
味はもう覚えてないけど、それをほおばりながら、家に帰ったらまた元通り、おとうさんと一緒に暮らせるんじゃないかって思ってた
「つらいと思うけど学校でいきなり泣いたりしたら、みんな心配するから我慢しなさい」
旅館は確か車で20分もかからん距離にあったけど、通ってる小学校からは遠かったから、次の日の朝おかあさんが車で送ってくれた。
でもやっぱり我慢できなくて、教室で誰も見てないときにこっそり泣いた、と思う。
何日間か、たぶん2日ぐらいしか経ってないんやろうけど、ほかの場所に泊まって、おとうさんとおかあさんとで暮らしてた団地の部屋に帰ってきたら、おとうさんはいなかった
その代わり、部屋の壁にクレヨンで私たち娘に書き置きがしてあった
「おかあさんの言うこと聞いていい子でがんばりなさい」
多分そんなことが書かれてたと思う まだ漢字が読めなかったからおかあさんに読み上げてもらって、声上げて泣いた わんわん泣いた
愛情表現が苦手なおかあさんも、さすがに私たち二人を抱きしめてくれた
やっとおとうさんが居なくなったことに気づいて悲しくなった
おとうさんについての最後の記憶はもうかなり前のことやから、ちゃんと思いだすことはもうできんけど
絶対に忘れられへんし、忘れたくない出来事やって思ってる
明日は母の日やから、おかあさんのことについて考えてみたけど、
おとうさんについてあこがれが強い状態だから、ついおとうさんについてだらだら書いてしまった。
今でもおかあさんは私以上に不器用やと思う
感情表現がうまくなくて、つらく当たることで自分を正当化しようとする
たたいたり、つねったり、蹴ったり、体罰に頼ってしつけをすることも多々あった
身体的な特徴を貶したり、他人の前で私たちの能力の低さを貶めるのは今でも変わんないなあ
成人してからも何回も怒鳴られたし、今でも寝る前に聞こえるような気がしてしまう
もう到底「いい関係」だとは言えなくなってしまった家族との関係をうまく繋ぐ日にいつかなればいいな、母の日が